大バッハの息子たちで音楽家になったのは、
長男、次男、七男、九男。
長男は、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~84)
音楽的才能に恵まれていたことから、
大バッハが最も愛し、高く評価していたといわれる息子。
大バッハはフリーデマンが9歳の時に一冊の音楽帳を書き始め、
それには、後に「インヴェンション」や「平均律クラヴィーア曲集第1巻」
の一部となる作品の初稿が含まれている。
彼は、ライプツィッヒ大学で法律を学び、1746年から、
ハレの聖母教会オルガニストになり、ハレのバッハとも呼ばれている。
しかし性格的な難しさから職場での折り合いが悪く、
1764年にこの職を辞任してしまう。
以後は定職にも就かずに、荒れた貧困の晩年を送った。
貧困な状態になってからは父親から相続した楽譜の多くを
売り払ってしまったといわれている。
フリーデマンは、作曲よりも即興演奏の方を好み、
またそれに卓越していたと伝えられる。