2022年12月16日金曜日

親友との再開と奔走

同い年の二人は

ボンの宮廷が崩壊したあと、

ベートーヴェンはウィーンで、

ライヒャはパリでそれぞれ成功しました。

しかしベートーベンは難聴が進み

遺書を書くほどの精神状態でした。

そんな時、ハイリゲンシュタットからウィーンに戻った

ベートーヴェンのもとに、幼なじみのライヒャが訪ねてきました。

当時、工業大都市化が進んだパリのピアノは

5オクターヴ+5度まで広がりがあり

弦も全音域で三重になっていました。

それに比べてまだまだ地方都市のウィーンの

ピアノの音域は5オクターヴ+2度で、

ライヒャは、才能のある親友が

古いピアノしか持っていないのを残念がりました。

パリに戻ったライヒャは、最新のピアノが

ベートーベンの手に入るよう奔走します。

パリのエラール社から、最新のピアノを贈られた

ベートーベンは、このピアノの広い音域を最大限に活かした作品を

作ることになります。