イタリアの粉挽職人の家に生まれ、
特別な音楽教育は受けず、
独学でギターとバイオリンを
習得し、類まれなる才能と運で
太陽王ルイ14世の寵愛を背景にフランス音楽界の
頂点まで昇りつめたジャン・バッティスト・リュリ。
今日はリュリの誕生日。
オペラ座の特別席料や楽譜出版業者からの
莫大な印税を得て、事業家としても手腕を振るう一方
王の後ろ盾から強引なやり口で
周りから反感を買い、敵も多かった人物だったようです。
そして、リュリの死因は指揮棒。
指揮棒と言っても、当時の指揮棒は
長く重い杖で、それで床を打って
リズムをとっていました。
ルイ14世の病気快癒を祝した演奏の際に
勢いあまって指揮棒で自らの足を強打し、
その傷口から酷い壊疽を起こして亡くなりました。
臨終の床で「 罪人は死なねばならぬ:
Bisogna morire, peccatore (イタリア語)」
と書き残したと言い伝えられています。